じぶんの人生を生きる

「じぶんの人生を生きる」と言葉にすると、じぶんの生きたいように生きるだとか、じぶんのやりたいことを実現するだとか、そんなようなイメージがあると思います。

 

それは、束縛から逃れて自分らしく生きるとなればポジティブなイメージにもなるでしょうし、その反対に自分勝手に好きなことをしているというようなネガティブなイメージにもなることもあるかと思います。

 

わたしが今この言葉を思い浮かべて考えたことは、「じぶんの人生を生きる」とは、じぶんの人生は他の誰かに委ねるものでもないということと、どういう人生を歩むかということを決められるのはじぶんの人生だけだということです。そして、それはじぶん以外の誰もがそうで、つまりじぶんは誰かひとの人生を自分の好きなように変えることはできないし、そんな権利もないということです。家族、パートナーや自分の子どもという近しい存在でも、それぞれがじぶんの人生に決定権を持っていて、じぶんがそれを侵すことはできないということです。

 

だから、「じぶんの人生を生きる」ということは、もちろんじぶんのしたいことをするという意味もあるかもしれませんが、まずはじぶんが考えるべきはじぶんの人生をどう過ごすかということをしっかり考えていくことと、そしてそれが家族を含めたひとの人生を捻じ曲げようとするようなことであってはいけないと今考えています。

  パートナーや子どもたちと暮らしていた頃、じぶんの歪んだ理想や考えにパートナーや子どもたちを巻き込んでいたように感じています。それは、まるでじぶんの人生とパートナーや子どもたちの人生が融合しているように考えていたということだと考えています。

 じぶんの人生の主人公はじぶんであっても、同じようにパートナーや子どもたちはじぶんが主人公の人生を歩んでいるということ、ただ主人公だというだけでなく、どういう人生にしたいかを考えることもそれぞれができるということを置き去りにして、パートナーや子どもたちがじぶんの人生の一登場人物のようにとらえていたのではないかと。

 

  今、パートナーや子どもたちと離れて過ごしています。そうすると、日々を過ごすときに当然にじぶんがどうするかを考えることしかありません。けれど、それはパートナーや子どもたちと同居していても同じことで、まずはじぶんのことを考え、その上でパートナーや子どもたちがどう過ごしたいかということをお互いに持ち寄って、相談できるような関係でなければならなかったと感じています。

 この先、パートナーや子どもたちとどういった関係になっていっても、それぞれが「じぶんの人生」を生きることを大事に、今はまずじぶんが「じぶんの人生を生きる」ことを大事に過ごしていきたいと考えています。                                                                            

                                         2-5