全てを肯定すること

DVをしていた人間がそうでない人間になることは、心がすっかり入れ替わるぐらいのことですから、単なる学びを超えたレベルにいかないといけません。つまり、生き方、人間性が変わらないといけないので、これは、もう「生まれ変わる」レベルです。そのことに、残りの人生でどう向き合うかが今の私の課題です。たまに、「○○さん、変わったね」と私に言ってくださる方もいますが、まだ少数派です。もっと、みんなから、「違う人みたい」と言われるぐらい、変わらないと・・・。そこで、私が今、特に気をつけていることは、全てを肯定することです。

 だいぶ以前に、「もう、不満は言わない」(ウィル・ボウエン著)という月課題をしたことがありましたが、これをさらにワンランク上げた感じです。この課題のときは、口に出して不満や愚痴を言わなければ良かったのですが、今は、心の中でも不満を思わないように気を付けます。特に、相手に矢印が向かわないように常に意識します。矢印が外に向きかけたら、とっさに自分を指差して、逆向きにするように修正します。

 例えば、パートナーや子供にLINEをする。期待した反応がない。モヤモヤする。妄想をしはじめる。何かのきっかけで不満が口に出る。ーーそんなことをこれまで繰り返してきました。自分が相手のことを思ってしたことや、リクエストしたことの結果をコントロールしようとして、DV的な言動が発動するパターンです。

 なぜ、こうなるかというと、相手を信頼していないからです。状況や未来をネガティブに捉えている。怖れがある。ここで、性善説とも言っていいのですが、パートナーや子供への信頼があり、相手のことをすべて善意に受け取れれば、穏やかな心で待っていられます。否定しないなら、落ち着いていられます。現状への感謝、満足と言ってもいいです。

 疑念を持っていては、何もかもうまくいきません。愚痴は、大敵です。愚痴の「愚」も「痴」も、「おろか」という意味です。「おろか」とは、仏教では、「智慧がない」ことです。「智慧がない」とは、「気づきがない」ことです。「気づきがない」とは、自分だけの正しさにこだわっていて、相手からの視点、相手への共感がないことです。

 これは、つまり、自分が今存在する時間、空間、境遇から「浮いている」ことです。そうではなくて、相手や自分のいる時間、空間、状況の全てを否定でなく、肯定する感覚で、しっくりおさまっている感覚になってみる、というのが今の私のチャレンジです。

 というわけで、私は最近、たんとすまいるを心から信じ、パートナーや子供を丸ごと信頼し、肯定し、今ある状況に感謝しようと思っています。これが未来につながるはずだと。

 これができるようになると、とっさのときでも、リフレーミングが自然にできる気がします。いつも楽しくなる、優しくなるのではないでしょうか。そうなれば、自分が変わること自体が苦痛でなく、むしろ、ワクワクする気がします。「変わらなければ」ではなく、「変わるぞー」という感じ。

 

 いや、あの人は信頼できない。嫌いな人は嫌い。ということもあるでしょう。そんなときは、AHの「あたたかい心」がヒントになる気がします。仏教で言えば、慈悲心、つまりは優しさ。だれもジャッジしない本当の優しさ。それには、いつも穏やかで、鷹揚としていることが大切です。そんな自分を目指しています。

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