背負っていくもの

パートナーが子ども二人を連れて別居した後、約1年が経過しようとしている。

  別居後約1ヶ月は食事を採る気にもならず、10kgほど体重が低下した。今は少し戻ったが、自身の標準体重よりは低い。

    体力が低下してくると精神面にも影響するものであり、パートナーや子どもたちのことを思うと、どうしていくべきか自身に問いかけることになる。

  自身が生活しながら得られる収入よりも、パートナーが望んでいる私が支払うべきとされている生活費の負担においては、

  私がこの世からいなくなり、持てる資産を自由に使って生きていってもらう方が試算上、パートナーにとって都合のよい金額になる。

  また、私自身の高齢化に伴う身体上の不具合がいくつも押し寄せている中、パートナーが要求する金額に到達するどころか、 自身の医療費などの問題により、資産を切り崩しても子どもたちが成人に達するまでの要求額さえ支払えずに、 かえって迷惑をかけることになる可能性も高い。

  つまり、私が人生を終わらせる方がパートナーが要求する金額に容易に到達するのである。それがパートナーが望んでいることであれば、それも視野に入れざるを得ない。パートナーの望みをかなえることが必要であれば、その選択をする気持ちになる時もある。

  通常どおり生活できている間は、そのようなことは考えるつもりはなくなっているが、時折感じる身体の不具合があると、 これ以上身体的な面でさらなる悪化が起こるようであれば、どうしてもその選択をせざるを得ないということが心の奥底に残っていることに気づくこともある。

  なお、身体的な悪化については数年内に発生する可能性も十分にあり、自身の努力や薬・医療的治療による快復が叶わないことでもあるので、パートナーや子どもたちには申し訳ないとつくづく思うが、それは自身の生命力のなさであると認識することにしている。

    今は、自身ではできる限り金銭的な摂生を行い、パートナーの要求額に近づけるように支払える状況をつくり、 かつ自身でも健康的な生活を続けるための自炊を継続していく。しかしながら、コントロール不能なところの健康面は何とも言えない。

  ただし、このプログラムで学んでいるとおり、別居の状況を引き起こした要因は自身にあり、そのことについては、

  少なくとも生きている限りにおいては背負っていくものであるとも自覚している。

  また、自身が過去に選択したことに対する重さを感じながら、これからは良い意味での選択をし続けることについては、毎秒継続していく。

  今後も、自身の生命力の強弱に対する思いと日々戦いながら、生きている限りにおいてできる限りのことを続けていく。

                                          5-4