「自分を見つめる」ということ

これまで学んできたことや体験したことは、知識や経験として蓄積されていきます。

私自身、良かったことはそのまま吸収し、時にはさらなる高みを目指したりしますが、

失敗やネガティブなことに対してはいくつかの選択肢がある中で、

「蓋をして人に見せない」ようにすることが多かったと思います。

そうすることによって、自分を良く見せられると思っていたからです。

 

また、自身が得た経験や知識は「正しいこと」と変換し、私の価値観として形成していきました。

その価値観は多くの人と共有できるもので、受け入れられるものだと思っていました。

 

そのような感覚を持っていたので、悪く言われたり、

異なる価値観に対しては嫌悪感や抵抗感を示していました。

それは妻に対しても同様で、最初は口喧嘩から始まるのですが、

次第に私が劣勢と見るや怒りが湧き、暴力を振るうという流れになっていました。

 

冷静になると悪いことをしたと思うのですが、暴力を振るわない以前に怒りを抑えるにはどうすれば良いのかわからないまま日々過ごしていました。

その中で、たんとすまいるの存在を知り、学びを受けようと思いました。

 

受け始めた当初は「自分を良く見せよう」という気持ちが前に出ていたと思います。

しかし、学びを受けていくにつれて、徐々に自分自身の「陰」の部分を人前で話せるようになってきましたし、今まで「自分」というものを感覚的にしか見つめていなかったことにも気付きました。

 

学びを始めてから1年余り経ちますが、色々な年齢層や立場の方々とお話しさせて頂く中で、

多種多様な価値観やご経験を知ることができ、自分に無いものも肯定的に受け取れるようになってきました。

 

今も怒りが湧くことがあるので、学びは道半ば(にも至っていない)ですが、笑顔の多い生活をしていくために色々なものをポジティブに吸収し、自分の悪い所に目を背けることなく見つめていけるよう努力していこうと思います。

 

写真:1月30日、気分転換に訪問した三重県志摩市の安乗埼(あのりさき)灯台です。

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